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ラヴ茶関西オフレポ その5 奈良逍遙編(その2)

2006年11月26日
 ‥大変遅くなりましてすみません! 奈良逍遙編の後半をお伝えいたします。
しかし、我ながらしょうもない事にエネルギーを‥orz。え? しょうもない事ってなんだ? まあ、中をご覧いただければ分かります。

奈良観光径路図その5の登場人物
志音さまりうさま薫子さま
紀州さまいちさま
鎖六さままさやんさまもずる 

周回遅れどころか時間制限にひっかかりそうな感のあるレポートですが‥なんとか頑張ろう。おーっ!
では、十月十四日のお昼から。

12:00頃 奈良(平宗奈良店)
今日のお昼は平宗奈良店の八重桜(茶粥定食)♪
これです。
平宗の八重桜(茶粥定食)
 何しろ内陸の奈良ですから‥その昔に紀州熊野灘で獲れた鯖が奈良に届くには丸二日かかったそうです。で、きつめに塩がしてあった鯖は蛋白質が適度に分解してイノシン酸等の旨み成分が作られ、生と違う美味しさが醸し出されます。
 それを酢飯に載せて柿の葉で包み、押し寿司にしたのが柿の葉寿司(写真左下)。棒鱈といい、身欠き鰊といい、保存用の魚を美味しく料理する事にかけては、京都、奈良の右にでる地方は少ないでしょう。
 そして吉野葛を使った胡麻豆腐(写真中央)と葛切り。炊き合せ、鮎の甘露煮(写真には載ってません)どれも美味しかったです。
 で、茶粥(写真左上)。! 焙じ茶で炊いた薫り高いお粥に香ばしいあられを散らして食べるのは至福の一時でした。

 (私を別にして)食の細い方の多い(?)ラヴ茶の面々も、しっかり食べて、満足して食後の一服。志音さまに至ってはお座敷にころんと横になっていらっしゃいます。その志音さまのお腹を枕に薫子さまがころん。
 古都の民家(本当に普通のお宅のお座敷の風情です)の二階での、何とものんびりとした昼下がりでした。
 それでも予定通りに午後一時にはお店を出発。元興寺に向かいます。

13:10頃 奈良(元興寺)

 元興寺は蘇我馬子(蘇我‥と来ると思いつくのはどうしても「日出処の天子」。だからマンガから‥)が飛鳥に建立した法興寺がその前身です。奈良時代には東大寺、興福寺と覇を競う大寺院だったそうですが、 その後衰退して、現在は二つの寺院に分かれています。
 今回訪問したのはそのうちの一つ、中院町にある「元興寺-極楽坊」です。
 隆盛を誇った時期の元興寺は、

         食 堂
僧坊 僧坊           僧坊 僧坊

僧坊 僧坊           僧坊 僧坊

僧坊 僧坊    鐘 堂    僧坊 僧坊

僧坊 僧坊           僧坊 僧坊

      廊廊 講 堂 廊廊
      廊       廊
      廊  金 堂  廊
      廊       廊
 小塔院  廊廊 中 門 廊廊  東塔院

         南大門

【注.「廊」は回廊を示します。さらに食堂の後方に蔵院と中院があり、それら全体を囲むように土塀がありました】
という総面積三十万坪の豪壮な規模を誇る大寺院でしたが、 現在はその殆どが失われ、

         ・・・
・・ ・・           ・・ ・・

・・ ・・           ・・ ・・

・・ ・・    ・・・    ・・ ・・

・・ ・・           僧坊 僧坊

      ・・ ・・・ ・・
      ・       ・
      ・  ・・・  ・
      ・       ・
 ・・・  ・・ ・・・ ・・  東塔院

         ・・・

という状態です。

 天平時代の元興寺には智光という、浄土教の研究者として世に知られた学僧がいました。
 智光が感得し画工に描かせた浄土相変図(阿弥陀如来のおわす西方極楽浄土のイメージを具体的に表した図)を智光曼荼羅といい、 智光はそれを僧坊に掲げ、極楽往生を念じました。
 後に僧坊は極楽坊と呼ばれ、この智光曼荼羅が本尊として祀られるようになりました。

 極楽坊を含む僧坊(上図東隅)が鎌倉時代に改築され、 現在の中院町にある元興寺の禅堂と本堂となりました。 ですから、本堂は極楽坊と呼ばれていますし、 お寺も通称は「元興寺-極楽坊」と呼ばれています。

 東塔院のあった場所、現在の芝新屋町には「元興寺-塔址」がありますが、 こちらには当時の建物は一切現存していません。(小堂がありますが、昭和十年頃の建物です) 東塔院にあった五重塔の礎石が残るだけです。 その為、こちらのお寺は「元興寺-塔址」と呼ばれています。

 どちらのお寺も正式な名前は「元興寺」だそうです。

 平宗を出て右(南)に進み、大通りを渡った所で鍵の手に細い路地に入ります。 路地の正面は元興寺の北門です。元興寺の敷地に沿って左(東)に曲がり、東門に出ます。

お寺は一般的に、本尊を祀る金堂が南を正面とする事に合わせて、南門が正門ですが、 現在の元興寺は本尊が智光曼荼羅(西方極楽浄土のイメージ図)であり 「阿弥陀如来のおわす西方の極楽浄土に向かう」という意味合いから、東門が正門となっています。

 拝観料を払うと寺の方がお寺の歴史や見所を簡単に解説して下さいました。 で、お話では注目すべきは屋根だそうで、一同は本堂の甍に視線を注ぎつつ境内へ。

 境内に入ると、白砂に萩の葎、軒の低い阿弥陀堂(本堂)が不思議なほど穏やかな雰囲気を醸し出しています。
 前述のように元々広かった境内は次第に宅地に蚕食された為、寺域は住宅街の奥になってしまい街路に接していません。 その所為でしょうか、慎ましやかになってしまった元興寺は、明るい静謐に満ちた‥、菜々ちゃんの表現を借りるなら「御仏がいらっしゃる」空間でした。

 本堂に上がらせて頂くと、外とは逆にひやりとした薄暗さが心地よい空間です。 内陣、外陣とも畳が敷き詰められ、正面には阿弥陀如来坐像が安置されています。

 本尊正面の礼盤の直後には外陣の端に座布団と大金(叩いて音を出す金属製の大きな鉢)と撥が用意されていて、誰でもお経を上げれるようになっています。
好奇心旺盛なラヴ茶の面々は交代で座ってみます。 勿論、好奇心と共に、信仰に対する礼節をきちんと弁えている(はずの)メンバーですから、着座したら真剣に祈りを捧げます。

 阿弥陀如来像の後ろには智光曼荼羅が掲げられています。 本来は内陣を念仏を唱えながら右繞(右回りに礼拝)するのだそうです。
 残念ながら元々の曼荼羅は焼失して現在のは模作だそうですが、正しく原本を伝えていて下されば問題はありません。 私たちがよく目にする金剛界曼荼羅や胎蔵界曼荼羅のようなシステマチックな構図ではなく、 如来や菩薩がおわす宝楼閣と呼ばれる極楽の建築物の様子が描いてあり親しみ易い図柄でした。

 本堂の参観を終え外に出て、左手の収蔵庫へと向かいます。
 収蔵庫には、元興寺由来の仏像、仏画多数(元は巨大な寺ですから)、 五重小塔(東塔院にあった元興寺大塔の雛形と考えられており、天平時代の塔の構造様式を伝える貴重な資料です)、 に併せて、
元興寺の解体修理や防災工事で発見された こけら経(経木に写経したもの)や 彩色印仏(仏像図を印した物で何度も押印を繰り返す事で仏の功徳を願います)等の 民間信仰の資料が展示してありました。

 収蔵庫から右手に禅堂を見つつ奥に進むと、一文字型手水鉢があります。 普通、手水鉢は参拝の前に身を清めるために使いますから、本堂に至る参道に設置するものですけど。

いちさま「何でこんな所に‥」
鎖六さま「さあ? 今さら手遅れな気もしますけど」

等と訝しみつつ、それでも一同は素直に手を洗い口を漱いで身を清めます。

紀州さま「もずるさま、この水飲めるそうですよ」

声の方を見ると、紀州さまが嬉しそうに木の枝に架った札を指差してます。札には、
『この水、飲めま‥』
と印してあります。下の方の文字は木の枝に隠れて読めません。

もずる「紀州さま、古い手ですよ。『この水、飲めません』の『せん』を隠すなんて」

と苦笑しつつ枝を取り除けると、
『この水、飲めます』
‥汚れた大人はまず疑う。紀州さま、その節は失礼致しました。 実際に飲んでみると確かにおいしいお水でした。(水道水だったりして‥)

 手水鉢のすぐ後ろには多数の石仏が並んでいます。
これは禅堂の後方にあった千塔塚に積み上げてあった墓石だそうで、 いずれ自然に土に還るようにここに並べてあるそうです。
 石仏の間を進むと少し土盛りがしてあり、視線が高くなるため、本堂の屋根がよく見えます。
元興寺本堂の行基葺
 この屋根は行基葺という本瓦葺の原型で葺かれています。
 行基は奈良時代の高僧で、多くの寺院を建立しています。行基葺はこの行基が考案したとも謂われています。


【ここから、瓦に関する話が延々と続きますので興味のない方は次の横線まで跳ばして下さいます様お願い致します】

 ちなみに『葺く』とは建物の耐候性の向上を目的に別の材料で屋根を覆う事を意味します。
 一般的には葺く材料(屋根材)によって、藁葺、桧皮葺、こけら葺、瓦葺等に分類されます。
 この中で瓦葺は人工の屋根材としては恐らく最古のものといえるでしょう。 瓦の誕生の地はメソポタミヤ、インド、中国と各説ありますが、 恐らくあちらこちらで別々に誕生したのではないでしょうか。

 瓦は粘土を焼き固めたものをいいますが、 初期の瓦は中空の円錐台を縦に切り分けた形でした。
 その瓦を凹みを上に向けて屋根面に並べ、雨を受けられるようにします。 同じ瓦を今度は凹みを下に向けて、下の瓦の隙間を覆うように並べます。
初期の瓦葺
 この瓦は形が単純で、しかも一種類の瓦で様々な屋根にかなり柔軟に対応できます。 その為、現在でも『スパニッシュ瓦』として市販されています。

 しかし、この瓦は一つの瓦で覆う面積が小さいため、瓦が大量に必要です。その為、屋根の重量が大きくなりますし、施工の手間も少なくありません。

 洋の東西でそれに対する工夫がなされました。

 西洋では、ローマ時代に下側の瓦を平面の板(平瓦)にしました。 板の両端には水返しを設け、従来の円錐台の瓦(丸瓦)で水返しの部分を覆います。 下の瓦が平瓦になりましたので、少ない枚数で大きな面積を覆えるようになりました。
ローマ瓦による瓦葺

 東洋でも似たような工夫がなされました。といっても地中海性気候のローマと違い、 モンスーン地帯のアジアでは、風雨による浸水の心配がありますから平たい板では不安です。 (風雨による浸水:瓦の表面を流れる水が風に吹き付けられ瓦の隙間から屋内に侵入する事です)
 出来るだけ、下の瓦の中央に水を集めたいので、下の瓦を完全な平面にはせず、ゆるい凹面にしました。
 このゆるい凹面の瓦(平瓦)ときつい凸面の瓦(丸瓦)の組み合わせによる瓦葺が日本に伝わって、 『行基葺き』と呼ばれるようになりました。
行基葺

 『瓦の話がどれだけ続くんだろう?』とご心配なさっていると思いますが、もう少しお付き合い下さいませ。(平伏)

 この行基葺の丸瓦は、機能的には初期の瓦と殆ど変りません。 円錐形を重ねていますから、瓦のサイズに多少誤差があっても重なり具合を調節する事で誤差を吸収できる代わりに、 風雨による浸水の可能性も少なくありませんでした。

 瓦の焼成精度が向上した事から、丸瓦を円錐台ではなく単純な円筒形にして片方の先に段差をつけ、 丸瓦同士をピタリと嵌め合わせる事が出来るようにしました。 これで効率よく水の浸入を阻止する事(または侵入した水を外に導く事)が出来るようになります。
 この丸瓦による葺き方を『本瓦葺』といいます。
本瓦葺
 いずれにしても、重量が軽減され施工性が向上したとはいえ、まだまだ瓦は重く高価な建材でしたので、 瓦葺はお城やお寺のような特別な建物にしか使われませんでした。

 江戸中期に更なる施工性の向上と重量の軽減を画策して、丸瓦と平瓦を一体化させました。 一体化する事によって、防水のための重なりを減らせますし、瓦の数も削減できます。
 最初は丸瓦と平瓦を単純にくっつけた『ローソク桟瓦』が作られました。 しかしこれはあまり普及しませんでした。 (とはいえ、簡易型の本瓦葺として現在でも市販されています)

 丸瓦の目的は平瓦の隙間を塞ぐ事ですから、本当は丸瓦ほどのボリュームは必要ありません。 丸瓦をどんどん小さくしていって、最終的には片側がもう一方よりも大きく持ち上がった波型の断面の瓦が作られました。 持ち上がった部分を隣の瓦に被せるのです。
 この瓦で葺かれた屋根は、その持ち上がった部分と瓦の端の部分が格子をなし障子の桟のように見えます。
 そこからこの瓦は『桟瓦』と呼ばれるようになりました。
桟瓦葺
 桟瓦は日本独自の考案と言われています。桟瓦の発明によって、瓦は広く一般に使われるようになりました。現在の瓦葺の家屋と言うと、殆どこの桟瓦かそのバリエーションが使われています。
 もっとも寺社建築の様に古風で重厚な感じを出したい場合には、現在でも本瓦葺が使われます。

 面白い事に、西洋でも同じ様な工夫がされました。
 ローマの瓦は(恐らくローソク桟瓦と同様な過渡期を過ぎ)平板の両端に溝を設け、それを組み合わせて水の浸入を防ぐ瓦になりました。
 この瓦は『フランス瓦』と呼ばれています。(以下の図はフランス瓦の一例です。なにせ種類が多くどれが古いタイプなのか分かりませんでした)
 フランス瓦のように基本的に平らな瓦を総称して『平瓦』といいます。
フランス瓦葺
 また初期の瓦はスパニッシュ瓦として現在も使われていると申しましたが、 やはりそのままでは施工が大変ですので、下の瓦と上の瓦を組み合わせた瓦が登場しました。
 これはその断面形状から『S字瓦』と呼ばれています。
S字瓦葺

 今までの瓦屋根の変遷を纏めると、以下のようになります。
 初期の瓦      平滑化        上下の瓦の融合
【スパニッシュ瓦】┳【ローマ瓦】━━━━━━【フランス瓦】
         ┃
         ┣【行基瓦】━━【本瓦】━【桟瓦】
         ┃
         ┗━━━━━━━━━━━━【S字瓦】

 現在では、本瓦、桟瓦は『和瓦』、S字瓦、平瓦(フランス瓦含む)は『洋瓦』に分類されていますが、 どちらもスパニッシュ瓦をご先祖さまにしていますし、その発達の過程も大変良く似ているのです。
 生物学において異なる生物が似たような進化を遂げる事を平行進化と言います。(例えば、人間の眼の構造と頭足類(イカやタコ)の眼の構造)
 この瓦の発達のように、科学や技術に於いてもしばしば平行進化の類例が存在するのは興味深いことです。

【以上、(簡略化した)瓦の歴史でした。なお文中の図版の瓦は煩雑になるのを防ぐために、固定用の突起や穴、水仕舞用の溝などを省略しています。また、瓦を実際に葺く場合は野地板(屋根の表面の板張り)の上に瓦を固定する様々な造作が付加されますが、それも省略しています。ご了承下さい】


 さて長い脱線、どうもすみませんでした。元興寺に戻りましょう。

 元興寺の本堂の行基瓦は、暗灰色、明灰色、赤褐色とカラフルな色合いですが、 これは補修の時期によって瓦の色が異なるせいです。
 このうち赤褐色の瓦が法興寺(元興寺の前身)が建立された飛鳥時代の瓦で、当時の瓦博士が焼いたものだそうです。 (この場合の博士は当時の朝廷における学術研究分野の文官の役職名です)
 約千四百年前の瓦!‥焼き物の寿命は長いものです。

 一同は更に進んで禅堂の後ろ(北)を回り、禅堂の東側に出ます。 禅堂の北東にコンクリートの低い段があり、その上にベンチが用意されています。

薫子さま「休憩所?」
りうさま「でもこのコンクリートの段の意味は‥」
もずる「下は納骨堂なのでは?」
鎖六さま「まさか納骨堂の上にベンチを置いたりは(汗)」

 まあベンチがあるのですから、そこで休息したからといって文句を言われる事はないはずです。 ラブ茶の面々はベンチに座ったり、辺りをうろうろしたり、煙草を吸ったり‥寝転んだり、思い思いに休憩を取ります。
 後で分かりましたが、実はこのコンクリートの段は前述した千塔塚の跡なのです。 でも、なぜコンクリートで固めてあるのかは分かりませんでした。(‥悪鬼の封印? だからその手の発想から離れろと!)

 ベンチの周囲には、フレアスカートのような印象の大きくて綺麗な花をつけた丈高い草が群生しています。 基本的に白い花のようですけど、紅い色が様々の割合で差しています。 こんな時は『緑の親指を持つガーデナー』まさやんさまにお聞きするのが一番♪

志音さま「まさやんさま、この花は何かしら?」
まさやんさま「この花は酔芙蓉と言いまして『酔う芙蓉』と書きます。 朝咲いた時は白いのですけど夕暮れが近づくにつれて紅くなるのです。それがお酒の酔いが回っていく様子に似ていますので‥」
いちさま「‥で、みなさま。なぜ、己を見つめていらっしゃるのですか?」

 そうですね。理由は言わぬが花という事で‥。
 そうそう花と言えば、元興寺はそこに咲く花でも有名で、春車菊、萩、桔梗と四季折々の花が訪れる人の目を楽しませてくれるそうです。私たちが訪れた時も酔芙蓉や秋明菊が可憐な姿を見せていました。

 元興寺を辞去し、山門を出て右(南)に進みます。最初の角を左(東)に折れると程なく右手に白壁の長屋門が見えてきます。
紅花色の暖簾が架った入り口脇には立派な一枚板の表札があり、『今西家書院』と書かれています。

14:00頃 奈良(今西家書院)

 暖簾をくぐり、あられ敷の石畳のアプローチを奥へと進みます。 露地部分には手入れの行き届いた植え込みと共に古い甕が配されています。(後で分かりましたが酒甕だったようです)
 アプローチの突き当たりの左手に訪れ口(昔の勝手口)があり、そこ入ると土間になっていて、受付やお土産物のコーナーがあります。

 今西家書院は室町中期の書院造りを現代に残している重要文化財だそうです。

まさやんさま「お茶が出来るようですね。どうします?」
一同「お茶しましょう!」

 さっきお昼食べたばかりですけど、よく歩いていますし、普段座業の多いラヴ茶メンバーですから‥休み休みでないと。
 見学料金を払う時にお茶の注文をして、注文の品が来るまでの間に建物の見学をします。 取り敢えず喫茶室になっている上段の間に荷物を置こうとしますと、受付の方がカセットデッキを持ってきて建物の説明のテープを流して下さいました。
 詳しい内容は『今西家書院ホームページ』をご覧頂きたいのですけど、 説明の対象である実物が目の前にある事もあり、書院造りの特徴が大変分かりやすく説明されていました。

鎖六さま「ささやかと言っても十分広いですよね」
もずる「こんな家に住めたらいいですねー。下段の間を書庫にして‥」
鎖六さま「本が中段の間、上段の間と徐々に侵食してくるのですね(微笑)」
もずる「そ、それは‥」

 そうおっしゃる鎖六さまを始め、ラヴ茶の面々はみんな蔵書の管理に苦労していますから、 広い家を見るとまず、「書庫!」と考えてしまうのです。 まさやんさまは貸し倉庫を書庫になさっているそうですが‥羨ましい限りです。

 それぞれ勝手に、庭に出たり(苔の上に陶器製の鶏が二羽置いてありましたが‥『にわにわにわにわとりがいる(庭には二羽、鶏がいる)』の暗喩‥じゃない直喩?) お手洗いを使ったり、濡れ縁に腰掛けたり、茶室を覗いたりしていると、お茶が供されました。
 一同は上段の間のテーブルに並んで、お抹茶や柚ジュースや珈琲を楽しみます。

鎖六さま「‥あ」
薫子さま「どうなさいました?」
鎖六さま「これ‥」

 みると鎖六さまの珈琲についていたポーションがクリームでなくガムシロップだったようです。 砂糖は別についていましたから店員さんの間違いです。
 しかも鎖六さまはガムシロップを入れた上に砂糖も入れてしまい‥。

まさやんさま「ガムシロップ入れた時点で気がついたのでしょう? だったら砂糖はお入れにならなければ‥」
鎖六さま「いや、つい流れのままに‥」

 それでも鎖六さまは騒ぐことなく、甘さ倍増の珈琲を静かにお飲みになっていました。

 今西家書院を辞去するとすぐ隣の酒屋に入ります。‥酒屋?
 実は今西家書院は清酒春鹿の醸造元である「今西清兵衛商店」の私有建造物だったのです。
 で、隣はその今西清兵衛商店の直営店です。

志音さま「いちさま‥。(微笑してるけど目が笑っていない)」
いちさま「で、でも。奈良に来たらここであられ酒(飲用みりん)を買うのがデフォで‥(伏し目)」
志音さま「(溜息をつきつつ)私は外で煙草を吸ってるわ。るーちゃん、行きましょう」

 苦笑しながらそれを見ていたもずるは、数分後お店から駆け出してきます。

志音さま「あら、もずるさま?」
もずる「こ、この辺にコンビニありませんか?」
薫子さま「コンビニ?(きょろきょろ)‥さあ?」
もずる「コンビニでなくても、銀行系のキャッシュディスペンサーがあれば‥」

 お金を下ろしておくのを忘れてオロオロしているもずる(危機管理能力なし)を見かねて、 志音さまがお金を貸して下さいました。(姐薔薇の皆さまには本当にお世話になっています。ありがとうございます(平伏))
 お借りしたお金で買ったのはこれ。春鹿醸造元オリジナルの盃です。
春鹿醸造元オリジナルの盃
 六種類ありましたから、当然大人買い(全種類一気購入)を♪ もずるが嬉々として支払いをしていると、それを見ていたりうさまから質問を受けました。

りうさま「どこが気に入られたのですか?」
もずる「ええと、この伝統的な文様を現代的な構図で配している所が‥」
りうさま「ああ、なるほど。で、なぜそれが気に入られたのですか?」
もずる「うーん、うーん」

 実際のところ、購入に至る最後の引き金が何かはよく解らないのです。 大人買いしたのはオタクの性(さが)ですが‥。
 分かって頂けますよね? オタクは『コンプリート!』って言葉に弱いのです。

 本来は盃ですけど、もっぱら酒のあてを盛って楽しんでます。こんな感じで‥。
盃を小鉢として‥。
 佃煮とかお漬物とか、これに盛るだけでちょっとお洒落な感じに♪

 一方、いちさまは奥にある酒の陳列棚の前で利き酒をしつつ、お店の人から説明を受けてます。 お店を出る時には、当然その手にお酒の包みが‥。

紀州さま「いち‥。あんた、昨日も酒買って今日もまた‥」
いちさま「だ、だから、あられ酒はデフォやんか(汗) それに利き酒セットは我慢したんやし‥」
紀州さま「我慢って‥自慢そうに言わんの!」

 何でも、お店の春鹿オリジナルグラスを買うと、五種類のお酒を利き酒出来るそうです。 でも、いちさま。あられ酒をお買いになる時も結構あれこれ試飲なさっていたような‥。

 店を出た一同は路地(大通りから一本入った道)を、次の目的地である新薬師寺を目指し東へと進みます。
道幅は狭く、両側には軒の低い古くからの民家が立ち並んでいます。 とはいえ、民家の多くは、壁がサイディングになっていたり窓がアルミサッシに置き換えられていたりで、 昔の風情が横溢している訳ではありません。
 でも日々の生活の場に少しだけお邪魔させて頂いて‥。 そう、手入れの行き届いた庭木を垣間見つつ、 綺麗に掃き清められた道を歩いていると、不思議にゆるゆると落ち着いた気分になっていきます。

 新薬師寺に近づくにつれて、古い土塀や築地塀がそこここに現れて、 周囲の様子も古(いにしえ)の都らしくなってきました。
 「柳生街道」や「山の辺の道」の起点にほど近い辺りで右(南)に曲がりしばらく進むと、新薬師寺に到着します。

15:00頃 奈良(新薬師寺)

 新薬師寺は『霊験新(あら)たかな薬師如来のおわす寺』の意味だそうで、 あの有名な薬師寺の次期バージョンという意味ではないそうです‥てっきりそうだと思ってましたが。
 勿論ご本尊は薬師如来です。
 このお寺もかつては七堂伽藍を連ねた立派なお寺でしたが、現在は食堂を改修した本堂と鐘楼、それに山門を残すのみです。 (今回の奈良逍遙はそんなお寺ばっかりです‥『盛者必衰の理』って奴でしょうか)

 煙草を一服という志音さまと薫子さまを残し山門を入ると、 鐘楼も本堂も、丈高く育った萩の葎に隠れてしまいそうな、慎ましやかな佇まいを見せています。
新薬師寺本堂
 鐘楼や本堂正面の造作をうろちょろと見ているうちに皆さん、本堂の中に入ってしまいました。 慌てて本堂の左手にある入り口から中に入ると、正面を向いた薬師如来の後方に円を描く様に十二神将が並んでいます。
 先に拝観していらしたいちさまと紀州さまが何となく嬉しそうに近づいて、

紀州さま「もずるさま、この十二神将はそれぞれ干支の仏さまだそうですよ」
いちさま「ほらここに干支とアドバイスが」
もずる「あ、ほんとですねえ」
紀州さま「自分の干支の大将にお線香をあげるとご利益があるそうです。で、もずるさま、干支は?」
もずる「私ですか。私は‥。はっ! 紀州さま、そんな手で!」
いちさま、紀州さま「ちっ。気付いたか(いえ、勿論もっと雅やかな表現でしたけど)」

 友人の干支を収集する(それを基に年齢を推定する)のは紀州さまの趣味だそうで‥まあ、ばれて困るものでもないのでお教え致しましたが。

 やがて喫煙タイムを終えて私たちを追っていらした志音さま、薫子さまが現れました。
 次なる犠牲者を求め、嬉しそうに志音さまに近づいていくお二人。 まるでキャッチセールスの如く巧みな話術で、志音さまを十二神将の前へと誘い込みます。 (薫子さまは、まだ微妙な年齢には間がありますので標的外です)
 もっとも志音さまはすぐに意図に気付かれました。でも、大人な志音さまは、

志音さま「なんなのよ、まったく。まあいいけど‥」

と、臆する事無く堂々とご自身の干支の大将に線香を捧げていらっしゃいました。

 本堂を出てみんなが集合すると、今度はいちさまの先導で、 隣の香薬師堂に安置されているおたま地蔵を拝観に行く事になりました。
 お寺の白壁に設けられた潜り戸を抜け、一段低くなった敷地の澱んだ池に架る橋を渡ると、 鬱蒼とした木立の中に香薬師堂がありました。 奉納品なのでしょうか、東南アジア風の木彫りのスクリーンやガムランのような鐘は飾られているわ、 お茶屋を兼ねているらしく、お品書きはそこここに吊るされているわ‥。
 不似合いと言えば不似合いなのですけど、割と嫌いではないのです。こうした聖俗が交じり合った雰囲気。

 おたま地蔵は本堂に安置されていた景清地蔵の修理の際に、 その胎内より発見された裸形のお地蔵さまです。
 平安末期に現実感を重視して肉体と着衣を別材で造った仏像が散見されますが、その流れを汲む一体だそうです。 鎌倉期以降も裸形の仏像が造られましたが、着衣は布製になりました。この仏像のように肉体と同じ材料で着衣を作るのは珍しいそうです。

 景清は平安時代の武将、平景清を指します。 謡曲「景清」の主人公として有名だそうです。
 景清はある大きな戦に出かける前に、新薬師寺のそばに庵を結んでいた母親に暇(いとま)を告げに来ました。 その際にこの地蔵に弓を立てかけたという伝説に由来して、景清地蔵と呼ばれているそうです。

 おたま地蔵の方の名前の由来は分かりませんでした。 地蔵の中に安置してあった所から地蔵の魂の意でしょうか。

 秘仏ですので一般公開はされていません。でも希望すれば開扉してもらえます。
 早速、いちさまがお堂の方にお願いに行って下さいました。が‥残念! 管理の方が外出中で見る事は叶いませんでした。

 新薬師寺を辞去し、来た道を戻ります。 元興寺から来た道との四つ角に出ると、 往路では気付かなかった喫茶店(兼ブティック)が角にあります。 その名も『ろくさろん』!
 こういう下らないギャグは絶対に見逃さないもずるが鎖六さまに近づきます。

もずる「ほらほら、鎖六さま。『さろくろん』ですよ♪」
鎖六さま「(苦笑を浮べつつ)‥すみません。そのギャグ、行きしなにいちに言われました‥」
もずる「‥失礼致しました。orz」

 本当に毎回つまらないギャグを‥。すみません、鎖六さま。 (でも「後悔はしても反省はしない」のがもずるクオリティですので、多分またご迷惑を‥それにしても、いちさま。私と同じレベルのギャグというのは、その‥)

 四つ角を今度は真っ直ぐに北に進み、大通りを渡って『中の禰宜道』に入ります。
 禰宜道の禰宜とは、神社に奉職する神職の総称です。 『中の禰宜道』は『上の禰宜道』、 『下の禰宜道(通称:ささやきの小路)』と共に かつて春日大社の神官が神社に通うのに使った道だそうです。
 当然、禰宜道は春日大社の鎮守の森(春日山の麓)を抜けるのですが、 道の両側には大社の名に恥じない、原生林を思わせる深くて静かな森が広がっています。
 神域という言葉がとても自然に思える森です。

 さすがに、 普段は賑やかなラヴ茶の面々も口数少なく黙々と歩きます。 もっとも禰宜道が割と坂道である事と、かなりの距離を歩いた後なので、既にバテているせいかもしれませんが。

 薫子さまは、かなりバテバテの志音さまと膝がお悪いりうさまを交互に支えながら歩いています。 志音さまはそれでも辺りを見回しつつ、

志音さま「前にね、春日大社で角を落としていない巨大な鹿を見た事があるのよ」
もずる「ここでですか? でも春日大社の鹿は、みんな角を落とされるのではないのですか」
志音さま「ええ、不思議でしょう。でも、大きな角を戴いた老いた立派な鹿だったわ」

 何か分からないものへの畏れを感じさせる森を歩きながら聞くのに相応しい、不思議な話です。
 なのにもずるときたら!(溜息)

もずる「‥その鹿、蹄が三つに割れてませんでした? 角もよく見ると木の枝では?」
志音さま「えっ、それ何?」
もずる「鹿じゃなくシシ神だったんですよ♪ ほら、『もののけ姫』に出てくる‥」
まさやんさま「ええ加減に、その方面から‥(以下略)」

 もっとも、突っ込んでくださったまさやんさまも、

まさやんさま「そういえば、姐御(志音さま)とそれを支えて歩くるーちゃん(薫子さま)は、乙事主(『もののけ姫』に登場する巨大な老いた猪)とサン(もののけ姫)に見えなくもない‥」

とおっしゃっておられましたが‥。(私が言った訳じゃないですからね! と、言い捨てつつ脱兎)

15:45頃 奈良(春日大社)

 春日大社は名神大社二十二社の一社で、全国に散在する春日神社の総本社です。
 ちなみに名神(みょうじん)とは霊験が著しいとされる神さまの事で、大社とは古代の社格制度(朝廷が決める神社の格式)の一つで、最上位のものです。

 『中の禰宜道』を抜けると春日大社の二の鳥居に出ます。ここにも鹿が多数うろうろしています。 ‥というか、春日大社に屯する鹿こそトラディショナルらしいです。
 春日大社に祀られている神さまのお一人、武甕槌命が白鹿に乗って影向(人前に姿を現す事)したという言い伝えゆえに、鹿は神使として保護されているのですから。
 保護されているという自信なのでしょうか、興福寺の鹿より人見知りをしないというか、その‥ずうずうしいというか。 売店で買ってきた鹿せんべいをあげようとすると、こちらの状態には委細構わず突っ込んできます。あまつさえ、

薫子さま「鎖六さま、鞄っ!」
鎖六さま「あっ! ‥ああ」

 鎖六さまの鞄に噛み付いた鹿がいます。鎖六さまは靴も踏まれて甲の部分に鹿の足跡がくっきりと‥鹿とはいえ神職の一端を担う身分でありながら強盗紛いの真似を。

鎖六さま「まあ、記念と思えば‥」
薫子さま「でも手とか噛まれなくて良かったですね」
もずる「噛まれた被害者いらっしゃるのでしょうね。‥はっ! そ、それで人肉の味を覚えた鹿がいたりして」
薫子さま「もずるさま‥(伏し目)」

 例によって下らないもずるの冗談ですが‥でも、強力な援軍が!

鎖六さま「こう、普通の様子で近づいて来る鹿が『キシャーッ!』て口を開くとその中に針のように鋭い牙がずらりと‥」
りうさま「鎖六さままで‥(伏し目)」

 鎖六さま、ナイスなノリをありがとうございました♪

 既に何度も参拝しているから 休憩してるというラスカルズ(いちさまと紀州さまのユニット名)を 二の鳥居に残し、他の六人は本殿に向かいます。
 本殿は祀られている武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の 四神の社が建売住宅のように四棟並んでいて楽しそうですが、 中に入るには別に拝観料が必要ですので、 今回はパスして南門を入った所でご挨拶をします。

 参拝後、志音さまと薫子さまがおみくじを引きました。 ‥なんといいましょうか、こんな時、絶対に外さないですよね、ギャグのネタとして。

 満面の笑みを浮べて戻ってこられた薫子さまは当然の如く大吉を引かれたそうです。 そして(完全に失敗してらっしゃいますが)痛ましそうな表情を作って傍らの志音さまに一瞥を投げます。
 その志音さまは開口一番、

「どうしてわたしが凶なの!」

 一同、大爆笑。本当に志音さまは(ある意味)引きの強い‥。

 神さまの姿が浮かんだ敷石?とか、 鹿せんべい無人販売機の横で待機して こちらに期待を込めた視線を投げかける鹿とか、 を横目で見つつ、二の鳥居に戻るとラスカルズがいません。
 でも、メンバーは焦ることなく近くの売店『杉の舎』へ。 案の定、売店の中で甘酒と生姜湯を楽しんでいる二人を発見しました。

もずる「しかし‥あくまでも酒ですか‥」
いちさま「ちゃいます! これはおやつです!」

 先程の『中の禰宜道』の様子から見て、 かなり疲れているメンバーもいると思われますので、 二の鳥居前の駐車場からタクシーを拾って近鉄奈良駅に向かおうと衆議一決しました。  が、ここにいるタクシーは送迎用か観光用の貸切ばかり‥。 仕方ありませんので、大通りまでは歩く事になりました。
 夕暮れの参道を一の鳥居(西)に向かってとぼとぼと歩きます。

 やがて、左手の視界が開けるとなだらかな起伏をもった広大な芝生の広場が現れました。 そこここに多くの鹿がのんびりと佇んでいます。
 飛火野の鹿苑です。

 この辺りには奈良時代に烽火(のろし)台が置かれていました。 烽火が通信手段として中国から伝わった当初は『飛火(とぶひ)』と呼ばれていましたので、 この辺りを『飛火野(とぶひの)』と呼ぶようになったそうです。
 飛火野の中でも、鹿が多数生息しているこの広場を鹿苑といいます。 (違っているかもしれません。鹿苑はともかく、飛火野がどこを指すかは文献によってまちまちですので)
 夕日が射す綺麗な芝生(鹿が食べるので刈り込んだようになっています)の中の鹿の群れは何とも穏やかな風情です。

りうさま「ああ‥鹿に囲まれてもふもふされたい」←まともな人間の感性
もずる「でも、あの中にも人喰い鹿がいるのでしょうね」←バカ
鎖六さま「ああ、鹿苑に入った人が鹿に囲まれたと思ったら、ふっと姿を消すのですね。で、行方不明に‥」←バカにお付き合い
もずる「そうです。骨も残さないように食い尽くされて‥凄惨な光景ですねぃ」←バカ
りうさま「(諦観の視線)」←まともな人間の感性

 やがて一の鳥居をくぐり、大通りに出ました。出た所がすぐ春日大社表参道バス停です。 大通りの向こうも芝生の広場が続いており広々とした気持ちのいい空間になっています。
 実は鹿苑、奈良国立博物館は言うに及ばず、 東大寺、興福寺、春日大社、 正倉院、 春日山、若草山等を含む広大な領域がすべて 奈良公園の園内だそうです。 奈良市の広域市街地の実に2%が奈良公園なのです。(中心市街に限れば20%近くを占めています)

 ラヴ茶一同はちょうど到着していたバスに乗り込み、近鉄奈良駅へ。 近鉄奈良駅からは16:42発近鉄難波行き急行に乗り込みます。
 席はバラバラでしたが無事全員座れました。そして殆どのメンバーが即座に舟を漕ぎ出します。
大阪に戻る電車の車窓から
 で、奈良観光は終了。

 観光地としか認識していなかった奈良は、そこここに古(いにしえ)の都の名残を留めていて、その気配が折に触れて、心を安らげたりざわめかせたりさせてくれる不思議に魅力的な土地でした。ぜひまた訪れて、今度は春日山に登ったり、平城京跡を散策したり、飛鳥路を延々と歩いたりしてみたいものです。

 でも今日はまだ夜の宴会が大阪で待っているのです。さらに強力なメンバーを追加して‥。
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コメント
おおおお!!
レポ再開、おめでとうございます~~ww
第1部の放映を話半ばで終了させて、続きはOVA化という
昨今のアニメの手法に則るおつもりかなあ、と少々危ぶんでおりましたw

というか瓦、すご過ぎます・・・。
も、もしやあの画像はもずるさまのお手になるの・・・?(ガクブル


鎖六さんの鞄に噛み付いた鹿。あれはおそらく職質であったと思われます。
『あー、ちょっとチミぃ。そのカバンにはなにが入っているのかね?』・・・みたいな。
鹿のおまわりさん♪
 ごきげんよう、薫子さま。コメントありがとうございます。

 いやいやぁ、そんな阿漕な商売はしませんよぅ。こっそりメールで、通販の連絡をしたりは‥。

 瓦は‥調べるのと、CGを作るのに時間を取られまして、オフレポの本筋とは殆ど関係ないのですけどねー。まあ、プライベートなブログですからやりたい放題を♪

 そして、鹿! そうだったんですか。鹿さんはちゃんと大社の警備という大切な自分の責務を果たしていたのですね。でも、すると興福寺の鹿も警備担当‥とすると、薫子さまも職質に遇っていたのでは?
 薫子さまも立派な胡乱メンバーになったのですね♪(感涙)

では、薫子さまには完全にリードされていますけど、お互いにオフレポを最後まで頑張りましょう♪

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